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Gokigen.com

伸びきった下着のゴムのように緩慢でくだらないブログ

小説って面倒くさい表現方法かもしれない

最近、小説を読んでいて思ったこと。小説って書く側に立って考えてみると、すごく遠回りというか面倒な表現方法だなと思う。それぞれの作品で伝えたいことがあるのは読んだ後に感じるけれども、それを伝える方法って他にいろいろあるとも思うんです。例えば政治家みたいに演説して講演とかラジオとかで人に訴えかけるとか、評論記事みたいな現実に即した文章にするとか、そういったように直接的に人の心にズバッと斬り込む方法もあると思う。なのになぜ小説とか映画とか舞台とかって、わざわざ物語にしてからそこで表現するという遠回りな表現をするのでしょう。確かにそのままズバッと言われても言葉だけはありきたりだったりして人によってはスルーしてしまうこともあるから、物語にして主人公になって疑似体験をすることで学ぶと実はかなり効果的ではあると思う。そのためには物語の中に入り込まないといけないので、時間をかけてゆっくり集中する必要があるから、やたら細かい設定だったり状況表現だったりが大切になるんだろうか。ただ小説は大衆向けではない表現方法な気もする。そこまで物語に入り込むのには個人差もあるし、そもそもそういった内面に向き合うよりも外交的に動いている方が好きな人もいる。だから面白い小説であっても日本中ほとんどの人が読んだことあるということにはならなくて、本を読むことが好きな人だけが対象になる。本を読むのが好きな人って日本人の中の何パーセントくらいになるのだろうか。半分もいるのかどうか。いないような気もする。そう考えるとものすごく遠回りで面倒くさい表現なのは間違いない。なのに自分はこれを面白いと感じているところもあるし、良い作品であれば少なからず自分の人生に影響を及ぼしているのとは間違いないので、魅力があるものなのは確かです。遠回りが実は近道というかそういう話もあるくらいだから、内面というのはそんな直接的な言葉だけで感じられるものではないのかもしれないですね。まあでも書く側になった気持ちで考えてみると時間もかかるし設定も考えないといけないし何かいろいろやることあるし大変だなとは思う。やっぱり物語を書くことが好きなのでしょうか。そうでないもやろうとは思わないですよね。人それぞれ自分にあった表現方法があって、それが小説を書くということだった人たちが書いているならば、なんか納得できた気がしてきた。