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Gokigen.com

伸びきった下着のゴムのように緩慢でくだらないブログ

「わからない」というやりがい

過去記事にコメントして頂いた内容から、将棋を趣味にしている人で「こんな疲れる事をわざわざ趣味にしなくてもいいのに」と思っているけれどなぜかやってしまう人はたくさんいるのだなと思って、少し考えてみました。

疲れるのになぜか勝手にやりたくなるというのは自然の摂理なのでしょうか。進化の過程でできないことをできるようにしていくという本能が人間にもあって、それが将棋に向いているということなのでしょうか。

「わからない」というのは実は楽しいことなのかもしれません。わかってしまうと面白くなくなることは自分にも経験があります。周りから見て人よりできることがすごいと褒められたとしても、自分としてはできることをやるだけなので好奇心がそそられることではなく、やりがいがない又は面白くないなと思ったことがありました。「わからない」ということには、まだ見ぬ世界へ足を踏み入れる快感があることは確かです。アドベンチャーですね。小学校の頃に隣の学区に足を踏み入れたときのドキドキ感とか、好きな異性がどんな家に住んでいるのだろうとか、どんなパンツ穿いてるんだろうとか、そんな感じでしょうか。見えてしまったり知ってしまったりしてしまうと興味は薄れてしまいますよね。その点で将棋は「わからない」ことが多すぎて勝手に体が動くのは仕方がないことなのかもしれません。例えそれがすごく疲れることであったとしても。