読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Gokigen.com

伸びきった下着のゴムのように緩慢でくだらないブログ

寂しさと将棋についての考察

将棋の勉強をしている時間はそれなりに楽しいのだけれど、一人でずっとやっているとだんだんと寂しくなってくるのはなぜだろうか。どうにかしたい。ということで少しだけその性質について考えてみることにしました。

 

趣味には大きく分けて、複数人で何かすることと、一人ですること、の二種類があるように思います。
例えばスポーツは前者で、場所や一緒に楽しめる仲間がいないとそもそも楽しむことすら難しい状況になります。休日に予定を合わせて場所を予約して道具を運んで集まって楽しむわけです。そしてその後にそのまま飲みに行ったりしてコミュニケーションを図ります。ゴルフなんかはその典型だとも思います。ヨガとかもそんな感じですよね。
まあ今ではバッティングセンターや打ちっぱなしとかもあって一人で楽しめることも増えているけれど、それでもそもそも移動しないといけないので、少しばかり外交的にならざるを得ない趣味だと言えるでしょう。

 

それに比べて将棋の勉強はというと、棋書を読んだり詰将棋をしたりすることが一般的です。要は一人で部屋の中に完結してしまうわけです。座りながら本やパソコンの画面に映る盤面とにらめっこ状態ですべてが終わります。それで新しいことを学んだり閃いたりすると一人でニヤニヤするわけです。これが修行に近いと言われる所以でしょう。他人に教えてもらったりということができればもちろんいいですが、いつもそんなことができる環境にある人の方が珍しいと思います。だから基本的には自分で何とかすることになってしまいます。
対局ですらもスマホの対戦アプリなどでやりたいときにできる環境があるので、わざわざどこかに足を運ぶような気にもならないことが多いです。学んだことはすぐに実践してみたくなるからすぐにアプリで対局してしまいます。そうすると部屋から一歩も出ずに済みます。


そんなことをしていると一人で半日ほど過ぎてしまったりします。寂しいなあとは思いつつも、それでも効率よく自分の知りたいことを学べるのでまたこの方法でやるわけですね。なんだかんだ満足してしまっている自分もいるのです。

でも人と関わらないと面白くないと思って友人に将棋の話をしたりしてみましたが、「何それ」みたいな感じで興味がない人が多いです。また将棋の持つイメージから誘ってみてもなかなかやる人は多くないです。みんな芸能人がどうとか、ドラマがどうとか、テレビ番組がどうとか、そんなことばかり言っていますが、そちらの方には今度は自分が興味ないので、あまりいい話ができないのです。

まあはじめから将棋の細かい話をわかってくれるとも思ってなかったのはありますが、それでも何だかわかっていても寂しい気持ちになることも少しばかりあります。


この気持ちはどこに向ければいいのでしょう。このもやもやはどこに向ければいいのでしょう。この満たされない感じはどうすればいいのでしょう。
欲求不満とはこのことでしょうか。心の奥底からもやもやっとした生き物がうごめいているような感じがします。この気持ちを誰かに受け止めてほしく思います。誰か共感できる方はいらっしゃるでしょうか。できれば可愛い女の子に受け止めてほしいですが、そんな本音は言わないでおきます。

 

そうなのです。そんな欲求不満の満たされない思いは、決してどこにも向けられないものなのです。いや、向けてはいけないのです。結局それは自分で消化するしかないのです。
欲求の解消に他人を利用してはいけません。もう一度言います。欲求不満の解消に他人を利用してはいけないのです。他人に頼りだすとずるずると依存体質になっていき、さらにはズブズブの恋愛体質になっていくことでしょう。最後には利用するか利用されるかしかなくなります。そして「二人で一つだよ」みたいな甘い言葉をささやくようになってしまいます。そんな人に自分はなりたくないとも思います。

 

内から生まれた煩悩は内から駆逐していく。それが修行なのです。一人で頑張れない、一人で楽しめない人には、他人とのかかわりの大切さやありがたさがわからないものなのです。一人こそ至高であるとここに宣言したいと思います。

今日も私は、椅子に座って机の上に置かれたパソコンと棋書の中の盤面に一人にらめっこしています。たまにグラビアアイドルの画像だけ見ます。それだけです。それが自分に課せられた修行なのです。

 

おわり。